『Echo and Narcissus』に辿り着くまで:中條有紀

「私には果実をもぎ取る資格がない」という思いがたぶん、この2年半ずっとどこかにあった。確かにその「果実」を私はずっと欲していた。本当の問題は、その「思い」にずっと囚われていたことだったということに、つい最近気がついたのだ。

五味誠さんと一緒にバンドをやろうというきっかけになったDEMOを制作していた時、私は自分自身の新たな可能性を模索していた頃だった。今まで目標としてきたもの、方向性を一旦全て白紙に戻して、もう一度自分の本当の声に耳を傾けようとしていた。白紙に戻すことに対しての戸惑いや未練などなくむしろ、清々しいくらいにこれからの自分にわくわくしていた頃だ。完成したDEMOを、その当時お世話になっていたディレクターになんとなく聞かせてみると、「中條は面白い声をしているな。」と彼は言った。(某ディレクターはその時まで、実際に私の歌声を聴いたことはなかった。)久しぶりに歌い手という立場に戻って初めて客観的にもらえた言葉がすごく嬉しかった。それと同時に「あの人なら、これを聞いてどんな意見を言ってくれるんだろう。」と頭をよぎったのが誠さんの存在だった。幸運にも、誠さんはそのDEMOを受け取ってくれたわけだが、その時は一緒にバンドをやりたいとも、やれるとも全く思っていなかったので、そのDEMOを渡した数時間後に、(正確に言うとそれは真夜中だったのでメールを見たのは朝だったのだけど)「一緒に・・・・」と誘われたときには正直わけがわからなかった。でも、今考えると「中條有紀」という歌い手の最高の理解者である誠さんを、私は潜在的に選んだのだと思う。そして、わけのわからないままにsphereは結成されその日から私は「姫」と呼ばれた。

良く誠さんの曲にメロディーをつけるのって難しいでしょ?とか大変でしょ?って言われるし、行ける場所が限定されるように思われがちだけど、私は違った。すごく自由だった。理論なんかじゃなく全て感覚で作れた。それ故にたまに半音ずれなどの間違いもあり「姫は、ちゃんと音楽を理論で知ってる人のはずなのになんでこういう間違いをするの?」と一度言われたこともある。tide poolsやreve apres reveなどはメロディーを全て完成させるのに30分かかったかどうかというところだ。何時間もかけてトラックを作る誠さんには 実に申し訳ない話だが。

アルバムを制作するにあたって、自分の書いた歌詞を読み返してみるとどの曲にも共通して、「強い感情」と「普遍的な風景」があるような気がした。sphereのキーワード「厳か」をとりたてて意識したわけではなく。人の本来の美しさや、輝きは失われていっているのは事実で温度も匂いもない二次元の世界の中には、本当の感情も本当の強さも見出せない。そこに横たわって多くの人が今、安らぎを感じてしまっている。私は不安になったりすると、(特にライブ直前などは)誰かの手を握ったり、近くにいる人を触ったりする癖がある。たぶん、無意識の領域でその温度とか、どんな匂いがするとかどんな声で自分に語りかけるかを知っている。私だけでなくきっとみんなおんなじだと思う。人は、目先の物事を考えるとき常に自分の近距離を見つめているのだという。地球を見下ろした風景を見るとき人は一体何を思うのだろう。

さっきの「強い感情」と結びつくのかもしれない。sphere結成からアルバム完成までの年月の中で自分を一番葛藤させたのが「ライブ」の存在だったと思う。2年半の間で、本当に数えるくらいしかなかったライブ。私は音楽、歌という物の前ではどんな感情をも誤魔化しきれない自分を只々忌み嫌っていたのだと思う。器用に立ち回れない自分を人にさらすことへの恐怖と常に戦いながら、わけのわからないうちに時間は過ぎていった。そしてそこでも、誠さんは「忌み嫌うべき自分」を受け容れて、それがありのままの私の良さであることを教えてくれた。ライブは間違いなく私を大きくしてくれたのだ。

最後に

「Echo and Narcissus」というアルバムを手にしてくれた人たちへ

あなただけの中にある「強い感情」と「普遍的な風景」にどうか出会えますように。

心からの愛と感謝をこめて。

2007年7月某日
sphere/vocal,piano
中條有紀

『Echo and Narcissus』制作手記:五味誠
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